論語に学ぶ 1
- 2015年12月27日
- 読了時間: 1分
孔子の「論語」の巻第七憲問第十四篇の25章に、「陳成子、簡公を弑す。孔子、沐浴して朝し、哀公に告げて曰わく、、陳恒、其の君を弑す。請う、これを討たん。公の曰わく、夫の三子に告げよ。孔子の曰わく、吾れ大夫の後に従えるを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。君の曰わく、夫の三子者に告げよと。三子に之きて告ぐ。可かず。孔子の曰わく、吾れ大夫の後に従えるを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。」とあります。紀元前481年、孔子72歳のときの話です。魯の大夫だった孔子が、主君の哀公に、隣国斉の簡公が陳成子に暗殺されたことを告げ、すぐに陳恒を討伐すべしと進言したが、哀公に聞き入れられず、逆に同じ大夫で実力者の三恒(孟孫子・叔孫子・季孫子)に相談しろと命じられるまま、三桓に相談するも、陳恒と通じていた三桓にも当然のこと聞き入れてもらえなかった。要するに、話しても無駄だと判っていたけれど、事(重臣が主君を暗殺すること)の重大さを自分の主君に伝えたのに、力の衰えた主君は権勢をほしいままにしていた三桓家(魯の重臣)に相談しろと命じられ、命じられるままに大夫としての職務を全うしただけだと述べているのです。これでは魯の末路も見えていると嘆いているのです。



























コメント