戦前日本の安全保障
- 2014年8月13日
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この写真は、NPO法人「ういむい未来の里CSO」の総会の模様です。

「戦前日本の安全保障」(川田稔)
山県有朋、原敬、浜口雄幸、永田鉄山の4人の指導者たちの世界戦略(安全保障構想)を読む。
①山形有朋(1838~1922);明治末から第一次世界大戦期にかけて、筆頭元老として明治政府以来の藩閥官僚勢力の頂点に立ち、国政に圧倒的な影響力をもっていた。第一次世界大戦期における藩閥官僚主導の国家体制を代表する軍人・政治家。
・山県有朋の安全保障構想;力の論理が支配するパワー・ポリティクスの貫徹する世界こそ国際秩序だと認識する安全保障構想であり、日露同盟による東アジアでの新たな勢力均衡の創出によろうとするものであった。その新たな勢力均衡とは、中国における日本の勢力圏拡大を許容するものとして構想された。
②原敬(1856~1921);政友会総裁総裁として、第一次世界大戦末期、その藩閥官僚勢力にかわって政治権力を掌握し、議会をベースとする政党政治への道を切り開いた。第一次世界大戦期における政党政治の創始者。
・原敬の安全保障構想;必要最小限の戦力の保持とともに、国際的な大きな影響力をもつ米英とりわけアメリカとの提携を効力に入れたものであった。第一次世界大戦後の国際秩序認識は、国際連盟の創設によって、連盟の存在を前提とするものに変化し、安全保障構想も、対米提携と連盟による集団的安全保障の組み合わせの方向を模索したが、途上で暗殺される。
③浜口雄幸(1870~1930);昭和初期に民政党内閣を組織し、ロンドン海軍軍縮条約の締結を主導するなど、戦前政党政治の内政・外交をもっとも徹底させた。第一次世界大戦期以後の政党政治を継承し発展させた代表的政党政治家。
・浜口雄幸の安全保障構想;原の構想を継承し、発展させようとしたもので、軍縮下での戦力と対米英協調、さらに国際連盟による世界レベルでの集団的安全保障体制の不十分さを、東アジア9カ国条約など、軍縮や平和維持に関する多層的多重的な条約網形成で、補完していく方向を考えていた。国際連盟による集団的安全保障を軸とした、パワー・ポリティクスを超える新たな国際秩序を作り上げようとしていたが、世界恐慌による国際的混乱と浜口自身の狙撃、陸軍による満州事変、連盟脱退などによって挫折する。
④永田鉄山(1884~1935);満州事変以後の陸軍の中核的存在であり、政党政治にかわって陸軍による事実上の権力掌握の方向を軌道づけた。政党政治を否定した昭和陸軍の指導的存在。
・永田鉄山の安全保障構想;国際連盟の実効性に疑問を持ち、国際社会をあくまでパワー・ポリティクスの貫徹する世界ととらえ、連盟は戦争を阻止することができず、列強間の戦争は不可避的であり、自棄大戦も避けることができないと判断し、安全保障上次期大戦に向けて、対応し得る準備と計画を整えておかねばならないとの考えから、常備軍の機械化、工業生産力の拡充、戦時における国家総動員の態勢構築、資源自給の見通しをつけること必須だと考える。そのため、軍の政治的発言力の強化と不足資源の中国大陸からの確保が不可欠だとし、それが満州事変につながり、華北分離工作となった。永田が暗殺され、その構想はさまざまな流れに分岐し、太平洋戦争へと至った。


























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