「これでも川柳おれが岸柳」の同窓会と北野岸柳を囲む会
- 2014年8月9日
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北野岸柳のFM青森「これでも川柳おれが岸柳」は1991年に始まり、2001年まで10年間続いた人気番組であった。この番組が始まる前、岸柳さんは3年半くらい自治労青森県本部に教宣部長として専従し、私と職場を共にした。川柳界では全国的にも有名で、あっちこっちで引っ張りだこであった。
岸柳さんは役場を退職し、テレビ・ラジオに出演し、川柳の全国の句会でつねに名をはせていた。そしてレギュラー番組をもつことになって、毎週土曜日の午後の放送となった。岸柳さんは川柳の句作だけでなく、軽妙な語りとダイアナに代表される歌唱力、それに書にもすぐれていて、エンターテインメントとしての素質も備えていた。
岸柳さんは、たぐい稀な才能の持ち主で、町会議員から参議院選挙にまで立候補した。私は、高校先輩の岸柳さんから「お前に川柳の才能はないから、川柳にだけは手を出すな」と言われ続けていたので、575の世界と違う散文の世界に進むことにした。それでも、付き合いはずうっと続いた。
岸柳さんとは彼が参議院議員選挙に敗れてから、また2年ほど職場を同じにしたそのとき、彼はアウガで「おかじょうき川柳教室」を隔週で月二回開き、川柳の普及と指導に努めていた。その頃である、長年の無理がたたって、心臓や脳が彼の活動に影響をあたえるようになったのは。
そして、2008年1月に心筋梗塞で倒れ、心肺停止の数分間から、呼吸は甦ったものの、生死の境をさまよって、最後の挨拶に病院へ駆けつけたくらいであった。しかし、奇跡的に意識が回復したのだった。その日の夕方までに意識がもどらなければ、諦めなければならない、と宣告されたまさに直前の蘇生だった。
その後、記憶がだんだんに戻り始め、6年経った現在では、おかじょうきの句会に参加して、句作を再開するまでに復活したのだった。
私は岸柳さんの奇跡的な回復を目のあたりにし、自分も岸柳さんと一緒に川柳をつくろうと決意し、おかじょうきに入会し、岸柳さんのあとを継いだ、むさしさんの「アウガ教室」に通っている。川柳で岸柳さんには認められてはいないが、「川柳だけはやめろ」とは言われていない。いつも、句会で岸柳さんに会えるのを楽しみにしている。
今日の会は「これ川おれ岸」の同窓会であり、私は同窓生ではないが、岸柳さんに川柳を止められ、しかも現在はともに句作に励んでいる縁で参加させてもらった。
3時から始まり、6時過ぎまで、とても和やかな、いい雰囲気の会だった。当時のアナウンサーだった若山多香子さんも東京から駆けつけてくれて、初めて会うことができたのも大収穫だった。
私はいまでも岸柳さんの代表作は、「鉢巻をゆっくりほどく覇者の指」だと思っている。


























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