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悲願の甲子園出場へあと一勝

  • 2014年7月22日
  • 読了時間: 3分

 夏の甲子園出場をめざす全国高校野球青森大会が7月11日に始まり、昨日が準決勝で、あす23日が決勝戦となります。私の母校、青森高校は昭和35年に4度目の甲子園出場を果たしてから、甲子園への道は遠く、13年前に決勝で八戸学院光星に敗れてからは、5度目の甲子園出場が悲願となっていました。

 私は組み合わせを見て、なんとなく今年がチャンスと思え、6月28日の選手の父母会主催の激励会にあたり、高校の同期会が重なり壮行会に出席できないかわりに、選手の父母の皆さんへハガキをだすことにしました。  私が出したハガキは次のようなものでした。

「前略  突然にお葉書をさしあげることをお許しください。今年の硬式野球部の壮行会に所用のため参加して激励することできませんので、書面にて、私の激励のことばとさせてください。  私は青森高校硬式野球部を応援し甲子園で1勝させる会(三四郎クラブ)の笹田隆志と申します。  かくいう私もその昔、皆さんと同じ硬式野球部父母の会の会員でした。そのようなわけで息子たち(長男周・次男陽)は青高卒業後、硬式野球部OB会(甲田クラブ)に入会し、私も三四郎クラブに入れてもらい、今日に至っております。  長男は里村輝監督と同じく平成5年度の第44回生で、キャプテンとエースの関係でした。そのときの監督が現甲田クラブの逢坂会長(旧姓相馬さん)なのです。里村監督は二年生のときから大黒柱で、小さな大投手として名をはせていました。いまでも、平成4年(1992年)夏の大会、県営球場で行われた準々決勝の弘前実業戦(延長13回死闘)のことがまぶたに浮かんで離れません。次男も2年のとき、ベストエイトまで進みましたが、ともに甲子園の夢は果たせませんでした。  それだけに、あの当時のことを思い出すたびに、ああすればよかった、こうしてあげればよかったと、反省と悔いばかりです。  25日に組み合わせが報じられ、青高はクジ運に恵まれているように思います。今年は甲子園への道のりはそんなに厳しくないような気がします。初戦、次戦、三戦と勝ち進めば、工大一、山田、そして決勝戦は光星が相手だと思います。長年の夢が実現しそうです。それだけに、13日から23日まで、選手たちは体調の万全を期さねばなりません。  野球は体力ももちろんですが、メンタルな面でも影響のあるスポーツです。体力と気力、そして青高ならでは知力が合致して、あとはチームワークです。それを支えるのが、親であり、父母会の役目だと思います。どうかよろしくお願いいたします。  里村監督の選手時代、選手全員が大会が終るまで学業のことはいっさい忘れ、大会に専念していたようです。私たち親も進学のこととか心配でしたが、とにかく三年の夏が終るまで口をさしはさみませんでした。結果は、甲子園には行けませんでしたが、相馬監督や良きチームメイト、先輩後輩にめぐまれ、大会終了後、今度は受験勉強に集中力を発揮し、東大、東北大学などへ現役で合格したのでした。  私はほんとうに子どもたちが青高硬式野球部を続けてくれたこと誇りに思いますし、卒業後も同じ学年だけでなく、前後の先輩後輩とも仲良くしている姿をみて、うれしく思うものであります。  最後に、今年はまたとないチャンスだと思います。春の大会、去年の秋の大会の悔しい思いをバネにして、選手たちは監督の指導のもと、ことしこそはきっとやってくれると思います。みなさんもきっと同じ思いだと思います。一緒に、祝勝会をやりたいものだと思いますし、六戸メイプル球場へ、青森市営球場へ足を運んで力いっぱい応援するつもりです。                                                          早々」


 
 
 

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