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私の主張 


 

 

2014年5月の論文を2016年8月に批判する(2016.8.29)

 1 景気は回復してるのか

​ 2 国内総支出(GDP)は伸びているのか

 3 有効求人倍率は上がっているのか

 4 株価と為替はどうか

 5 アベノミクスの三本の矢はどうか

​ 6 デフレ脱却はできたのか

 

アベノミクスのデフレ克服策とその限界(立松潔論文)を読んで(2014.05.19)

 

はじめに

 安倍政権が発足;2012年12月→今年(景気は順調に回復しているようにみえる)

 国内総支出(GDP)2013年1~3月から10月から12月(連続して拡大)

 有効求人倍率;13年1月(0.84倍)14年2月(1.05倍)

 今回景気回復;株高と円安の急進展を背景→先行き不安定なもの

 株価と為替相場;短期的な資金移動によりバブル的に変動する不安定性

 好循環に至らず(景気拡大→企業利益・賃金上昇→消費拡大→企業投資促進→雇用拡大)

 アベノミクス;三本の矢(金融緩和・機動的な財政支出・成長戦略)→デフレ経済脱却

 デフレ脱却;好循環(企業利益の増加→投資・雇用の拡大→賃金上昇・消費拡大増加)

 アベノミクスのデフレ克服策の検討とその問題点の指摘

 

1 アベノミクスと消費者物価2%上昇目標

 デフレ脱却の数値目標;消費者物価指数前年比上昇率2%(2013年1月)

 黒田日銀総裁;2%物価上昇を2年で実現(2013年4月就任当時)

 (質・量)異次元の金融緩和宣言(金融異次元緩和の始まり)

 政府・日銀のデフレ脱却指針;消費者物価毎年2%上昇が必要

 根拠;1997年以降のデフレ経済の深刻化(消費者物価指数は低下せずとも物価・賃金が下がり、不況が続いたため)→デフレ経済脱却(消費者物価2%上昇が好ましい)

 1997年~2012年;①消費者物価指数(3.9%低下・平均年‐0.26%)賃金指数(12.9%下落・年平均‐0.92%)→実質賃金の低下・労働者の生活悪化の進行、②GDPデフレーター(17.3%下落・年平均‐1.26%)

 日本銀行の物価安定の目標;消費者物価指数の年2%上昇(金融の異次元緩和)

 消費者物価(2%上昇)≧賃金上昇;労働者の生活は苦しくなる

 

2 株主重視経営の影響

 過去のデータをもとに指摘;物価上昇局面→賃金の上昇率、物価の上昇率を上回って推移(黒田日銀総裁)

 現在の日本経済に当てはまるのか疑問;(バブル崩壊以降)日本企業の経営方針変更(従業員より株主を重視する方向へ)

 根拠;①1986~90年(景気拡大期・バブル期)配当額は増えず・従業員給与18%増、②2002~06年(小泉政権・景気拡大期)配当額3.3倍(232%)・従業員給与2%増

 株主重視経営への転換;1995年5月(日経連)「新時代の日本的経営」(労働者の3グループ化(長期雇用・専門職・雇用柔軟型)と雇用柔軟型グループ中心に雇用の流動化促進

 連続金融破綻(デフレ不況深刻化);人件費節約・正社員の削減・低賃金非正規雇用拡大

 雇用の規制緩和(派遣労働の対象拡大)→雇用の非正規化に拍車

 1995~2005年(10年間);非正規雇用の割合(20.9%→32.6%)

 株主優先経営への転換の背景(日本企業);①労働運動の力量低下、②株主価値を重視する米国流の新自由主義思想の影響(正規雇用を減らし、非正規雇用を増やす、賃金支払い総額の抑制)、③ワーキングプア(格差の拡大)

 小泉政権時代景気拡大期;上場企業が史上最高益の更新(株価;2003年4月7909円→2007年8月18001円、賃金と個人消費の抑制)→デフレ経済から脱却不能

 株主重視経営路線の変更;デフレ経済克服は困難(安倍首相2013年2月経済三団体トップへ賃金引き上げ要請)

 2013年定昇含む賃上げ妥結額;5830円・1.83%上昇(2012年;5752円1.81%)

 2013年現金給与総額;最低水準の2012年と同じ水準

 賃金の上昇こそ、デフレ経済の克服と経済の好循環を可能にする

 

3 消費者物価上昇とその背景

 消費者物価の上昇;総合指数2013年6月上昇に転じ、12月まで上昇幅拡大、14年2月対前年同月比1.5%上昇。(円安の影響;食料価格2.0%、エネルギー価格5.8%上昇)

 円安による輸入価格の上昇;消費・投資など内需の増加でないため、企業の収益増加や賃金の上昇にはつながらない→経済の好循環・デフレ克服につながらない(国民負担増の「悪い物価上昇」)

 良い物価上昇;食料・エネルギー除く消費者物価指数は2014年2月0.8%(消費税増税前の駆け込み需要の影響)←富裕層の消費増(美術・宝飾・貴金属)←株価上昇による資産効果と配当増加に伴う富裕層の消費増大

 2014春闘の妥結額;6495円(2.20%)昨年比1211円(0.40%)上回る

 2013年労働組合の推定組織率;17.7%(未組織労働者・非正規労働者・中小企業労働者の賃上げが不透明)

 

4 消費増税の影響

 消費税率3%引き上げの影響;消費者物価2%上昇

 消費増税の増収分の行方(14年度5兆円);大半は赤字の穴埋め、社会保障費5000億円

 年金生活者の動向;年金額0.7%引き下げ・消費税増税のダブルパンチ

 消費増税の悪影響の軽減策;公共事業を中心とする財政出動の拡大(2014年度予算95兆8823億円、防衛費3%増、公共事業費2%増)

 建設現場での人手不足の深刻化(入札不調の増加)

 円安下の輸出は横ばい状態がつづいている。12年2月78.5円、13年2月93.1円、14年2月102.1円。輸出数量指数(2010年100)12年91.6、13年90.2、14年2月87.5

 

5 アベノミクスと雇用改革

 景気は緩やかに回復;デフレ経済克服への好循環はみえず、株価も14年は下降気味

 海外投資家による買いが鎮静化;外国法人等の株式保有比率2013年3月末28%

 株価上昇のためのさらなる法人税の引き下げを求める声

 法人税引き下げ←経済好循環の試金石(海外マネーの日本買い・企業の収益向上)

 海外マネー惹きつけ策のもうひとつの課題;雇用改革(解雇しやすい雇用ルールの採用、正規職員の解雇権濫用法理撤廃・解雇制限緩和と雇用の流動化)

 ジョブ型正社員の制度化

 

おわりに

 株主重視経営とその下で進められている非正規雇用の増加と賃金支払総額のよくせいこそがデフレ経済の元凶である。安倍首相が賃上げを要請しても、それに応じるかどうかは企業の自由である。企業にとって株主への分配を減らし株価を下げることは、外資による合併の危険性を高めるものであり、経営陣の責任が問われることにもなりかねない。そう簡単に政府の要望に応えるわけにはいかないであろう。

 景気が拡大して企業の利益が増え、法人税の引き下げが実施されたとしても、それが政府の宣伝のように労働者への配分増につながる保証はない。株主重視経営を打ち破り、賃金の上昇と非正規労働者を含めた労働条件の改善を勝ち取るのは労働運動の力によるしかないことを改めて確認すべきである。

 

私の主張    2014.05.20

 

  今日は、核燃料サイクルに関する主張です。

 

  英からガラス固化体132本返還(4月22日)

 

 英国からの返還ガラス固化体(高レベル放射性廃棄物)が、4月22日に六ヶ所村の再処理工場敷地内にある海外返還高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターに搬入された。

 英国から返還された高レベル放射性廃棄物は、再処理委託で出た固化体132本(内訳は中部、関西、四国、九州電力委託分がそれぞれ28本、中国電力委託分20本)であった。

 日本の電力会社は、原発から出た使用済み核燃料約7200㌧の再処理を1969年から2001年にかけて英仏に委託した。このうち英国では約4200㌧が再処理されており、同国からの返還は10、11、13年に続き4度目となった。これまで同国からは264本の固化体が搬入された。19年度ごろまでに合計約900本が返還される予定となっている。

 フランスからの返還(1310本)は07年に終了しており、六ヶ所村の高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターは英仏からの返還固化体の受け入れについて、センターが新規制基準に基づく使用前検査の合格する前でも、経過措置として5年間に限り事業継続を容認するとしていることから、今回搬入された。

 このガラス固化体1本に含まれる放射能は、広島原爆に比してその約1000倍(セシウム換算)もある。人間が近づくと即死する放射線量(毎時約1500㏜)である。

 こうした危険な高レベル放射性廃棄物の海外返還ガラス固化体が現在1574本も六ヶ所村の再処理工場敷地のほぼ中央に立地する高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターの貯蔵ピットの収納管で30~50年間貯蔵管理されている。

 

 

 

 

 

 私の主張 2014.07.22

 今日は、原子力防災に関する主張です。

 

  六ヶ所村再処理工場には使用済み核燃料3千トンが冷却貯蔵されている(7月22日)

 

  再処理工場は、原発の使用済み核燃料を化学処理し、ウランやプルトニウムを取り出して再利用する核燃料サイクルの要です。原子力施設の規制基準は東京電力福島第一原発事故を教訓に、大量の放射性物質を扱う再処理工場についても、原発と同等の過酷事故対策や地震津波対策を求めています。再処理工場の敷地は海抜約55メートルで、海岸から約5キロ離れているため、津波のリスクは比較的小さいといわれています。そうしたことから、原子力規制委員会での安全適合審査の焦点は過酷事故対策と地震対策が主なものとなっています。

 日本原燃は2014年1月7日、六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場(使用済み燃料貯蔵プールを含む)の安全審査を原子力規制委員会に申請し、核燃料サイクルの稼働に向けた法的手続きが始まっています。しかし、立地する下北半島の沖に、大地震の発生が懸念される断層(大陸棚外縁断層)があり、基準値震動を従来の450ガル(ガルは加速度の単位)から600ガルに上方修正しましたが、更なる耐震補強が必要だともいわれています。日本原燃は2014年10月の完成を目指すとしていますが、耐震などの想定が十分かどうかを巡り審査は長期化しそうです。仮に審査に合格しても、国が再処理工場などの原発以外の原子力施設の防災指針の改定を行っておらず、過酷事故が起こった時の避難計画などの立案ができない状態でもあり、安全協定の締結にも支障が生じております。さらには、稼働で生じるプルトニウムの行き先も決まっておらず、再処理工場は難題を抱えたままの状態にあります。

 プルサーマル計画とは、ウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)燃料を通常の原発で使うというもので、再処理工場で発生したプルトニウムの使い道として最有力視されている方式です。

 しかし、再稼働に向けて安全審査を申請中の17基の原発のうち、MOX燃料の使用が技術的に可能なのは6基にとどまっています。原子力規制委は原発の審査期間を「半年程度」としていましたが、7月3日、先行審査した九州電力川内原発1号と2号の安全適合報告(案)をまとめただけで、それ以外の原発については電力会社の準備不足で長期化しており、早ければこの秋にもと予想される川内原発の再稼働以外は、再稼働のめどは立っていません。電気事業連合会は、将来的には全国16~18基の原発でプルサーマル計画を導入する方針ですが、本来ウラン燃料を使う軽水炉でプルトニウムを含むMOX燃料を使用するのは危険でもあり、この方針は空手形に終わる可能性が強いと言われています。

 日本が国内や英仏両国に保有するプルトニウムは44.3トンといわれます。一般的にプルトニウムが8キロあれば、核兵器(長崎型原爆)1発分に相当するとされており、単純計算では5000発超に及びます。プルトニウムがだぶつけば、周辺各国の日本の「核兵器」保有への懸念が増すうえ、国内外の核テロのリスクも上がることになります。

 一方で、原発の使用済み核燃料の貯蔵容量は逼迫しています。国内の使用済み核燃料は、各原発施設内と六ヶ所村の再処理工場保管分(3000トン)を合わせて約1万7000トン。再稼働に向け安全審査を申請している東京電力柏崎刈羽(新潟県)と九州電力玄海(佐賀県)の両原発では、再稼働後、残り約3年で保管場所が満杯になるいわれています。

 六ヶ所村の再処理工場に付随する使用済み燃料プール(3000トン)には、満杯状態の使用済み核燃料(2945トン)が冷却貯蔵されており、しかも、この使用済み燃料には約30トンのプルトニウムが含まれているとされ、核兵器級のプルトニウム20トンに相当することから、なんと長崎に落とされた原爆2200発分に換算されます。青森市と六ヶ所村は最短で60キロしか離れておらず、集団的自衛権行使容認の閣議決定により、他国からのミサイル攻撃の標的となる可能性も否定できないのではないでしょうか。

 福島第一原発事故で注意をしなければならないのは、2011年3月11日早朝に水素爆発を起こした4号機の事故です。事故を起こした1号機から4号機のなかで、運転停止中で原子炉の中に燃料が入っていなかったのが4号機であり、燃料は建屋5階にある燃料プールで冷却貯蔵されていました。ここに3号機からのベントによる水素が流入し、格納容器内で水素爆発を起こした事故といわれています。燃料プールには100トンの使用済み燃料があったとされ、現在燃料の移送計画が行われています。1331体の使用済み燃料のうち1166体がすでにプールから取り出され、専用キャスクに詰められ移送されたとのことです。3月15日の水素爆発が使用済み燃料本体の爆発でなかったのは不幸中の幸いであり、100トンの使用済み燃料の破壊爆発であれば、チェルノブイリ原発事故の10倍の放射能を付近にまき散らすともいわれています。まさに、戦争やテロで六ヶ所村の3000トンの使用済み燃料が破壊されたら手の施しようのない大事故につながる恐れが大きいと思います。

 しかも、再処理を工場を稼働すればプルトニウムがたまり、稼働しなければ使用済み核燃料がたまっていきます。再処理によって高レベル放射性廃棄物が生じることになり、その最終処分先も決まっていない現状です。このように、核燃料サイクルは、まさに八方ふさがりの状況に陥っているのです。

私の主張 2014.08.05

 

 今日はねぶたに関する論考です

 

  2日から4日まで、3日間、つぶさに青森ねぶた祭を観賞することができた。

 幼少の頃、私は、母親の職場だった日通のねぶたに出て、仮装行列にも参加した。幼稚園から小学校にかけて、ねぶた祭が私の夏の最大の楽しみであり、喜びでもあった。それが、中学の時には、ねぶたは跳ねる祭りではなく、観る祭りになっていた。それも期間中一日、5日か6日と決まっていた。あとは家でテレビを見ていた。小学生までは、午後のねぶたに参加し、そのあとの夜の海上運行を花火大会とともに眺めることで、夏を終えていたのに、中学の時はなぜか花火大会にも無縁となっていた。
 高校の時も、二年までは水泳部の部活で、ねぶた祭どころではなかった。三年の夏は受験勉強もせず、ひたすら夏目漱石全集ばかり読んで夏休みが終わった。

 学生時代の7年間、秋田と仙台から帰省するたびに、ねぶたに跳ねた。ねぶたの衣装に花笠を被り、正統派で通した。高校時代の友人たちとねぶたを跳ね、朝まで飲んだ。あのころが、一番楽しかったのかもしれない。

 青森に帰郷して、結婚そして子どもが4人もできて、ねぶたは跳ねるものから、送り出す側に変わった。親子ねぶたに始まって、市P連の大型ねぶたの運行に7年もかかわった。PTAを卒業してから、わたしのねぶた祭に対する思いは薄れてしまった。4人の子が学生時代、東京から帰省するたびに友達を連れてきて、家に泊まり、ねぶたに跳ねた。私は祭り会場までの運び屋になった。女房は着付け係である。子どもたちは家に戻ってきては、大宴会が延々と続いた。それがまた、私と女房にとっては楽しいのであった。

 不思議なもので、4人の子のうち、一番、ねぶたに無関心だった末っ子が青森に就職し、今では職場のねぶたに参加している。ねぶた好きの長男はニューヨークにいて、青森ねぶたを現地で運行したいと狙っているし、馬鹿がつくほどねぶた好きだった次男は祭り期間がもっとも繁忙期で、せいぜい遠い空から眺めているだけなのだ。ねぶたに跳ねて、夜半まで帰ってこなかったことがある娘にしたって、結婚して東京で家庭を持つ身とあっては、おいそれとはねぶた祭に帰ってこれはしないのだ。

 3日間、桟敷席でねぶたを観て、いくつかのことがわかった。22台の大型ねぶたのうち、15台から17台のねぶたを観たが、昔のような迫力がなくなっているように感じた。ねぶたそのものも、あっといわせるような構図や新しい企画がないように感じた。ねぶた師の感性があまり感じられなくなった。また、「ラッセラー」の掛け声も、先導役が拡声器で叫んでいるのはいただけない。地声でなくては、地響きのような音はでてこない。そんなに跳人や子どもが少ないのだ。それは、太鼓や笛、手振り鉦の囃子方についてもいえる。ねぶたに参加する市民が少なくなっているのだ。それは、聴衆の中に市民の姿が少ないことにも通じている。

 そんななかで、3日までの子どもねぶた、地域ねぶたに希望をもった。新しい企画と子供や青年の元気な姿がそこにあった。動員ではない、自分たちのねぶたとしての誇りが感じられた。

 かつて青森ねぶたに勇気と元気をもらっていた市民が、いまは半分、あきらめているのではないか、そう感じた。ねぶたが廃れば、青森の街も廃れるだけに、あきらめかけている人たちに、かつての栄光の青森ねぶたを取り戻してもらうために、何が大事かすこしく考えてみたいと思う。

 

 

私の主張    2014.08.06

 

 今日はねぶたに関する論考そのⅡです。

 

 ねぶたという祭は不思議な祭りだと思う。あのエネルギーは何なんだろうかと思ってしまう。4日、高名なねぶた師とその家族らしい一団が、審査員席の隣の一角に座っていた。私はその人と中学が同じで彼は先輩でもあり、私が尊敬する佐藤伝蔵というねぶた名人の弟子として、昔から注目していたひとりである。その人の双子の兄弟もねぶた師で、すでに名人の称号をもらっている。

 私の中学の同じ学年に、とても才能のある、しかも頭のいい友達がいた。その友達はねぶた師の子であったが、ねぶた師にならなかった。しかし、彼の兄がねぶた師を継ぎ、いまや名人の地位にまであがった。彼の兄は、双子の名人より先に名人となった。

 4日に隣にいたねぶた師の息子もねぶた師としてデビューしており、この日は一家でねぶた観賞の様子だった。その桟敷は電話会社の前にあり、息子の方がその会社のねぶたの製作者だった関係で、一家に桟敷が開放されていたようだった。

 ねぶた師はハンチング帽をかぶり、自ら描いた龍の絵柄のTシャツを着て、リラックスしながら、17台のねぶたを見つめ、ときおりカメラに収めていた。

 むかしは、ねぶた製作者は少ない製作費でねぶたを作らねばならず、生活のために大工や左官など、いろいろな仕事についていた。いまや、ねぶた師といい、立派な師という称号までついて、師匠とか先生といわれる芸術家になっている。

 ねぶた師は凧絵師であり、浮世絵師のような色彩感覚をもち、歌舞伎に代表される歴史文化にも通じた、絵心がまず必要とされる。次が、紙人形作家として造形の美的感覚も要求される。構造物としての設計の能力だって必要である。総じて、芸術的要素が必要とされ、まさに知的な芸術だともいえる。

 私は高名なねぶた師一家を横目で観察しながら、青森ねぶたの一端を垣間見たような気がした。市民も、観光客もねぶたに求める意識も価値観も変わっているなかで、親しみやすく、庶民的ではあるが、昔と何も変わっていない世界があることを感じた。青森ねぶたの限界のようなものがあるとすれば、そのへんだと思った。

 3日間、22台の大型ねぶたを二度・三度と観た。そして、昨夜も雨が激しくなる前に、10台くらいのねぶたを立って観賞した。3日間は桟敷に座って、写真を撮ることに集中していたせいか、実際に道路端で観るのとは感じが違っていた。

 それでも、二人の名人と高名なねぶた師のねぶたは、巧いしまとまっているものの、私にはマンネリ化していないかと気になった。その人たちの弟子や、子どものねぶたもそれぞれ巧みな職人技で丁寧に作ってあるものの、師匠や親を超えているとも思えなかった。

 ある人がいうように、「ねぶたが反権力の象徴である」とすれば、若いねぶた師は革新的な想像力で師匠や親を完膚なきまでに負かすほどのねぶたをつくってほしいと思う。

 私の知人の子で、障害のある弟の心をしずめるためにねぶた師になろうと決心して中学生のころからねぶた師に弟子入りし、最近独立した若きねぶた師の手になるねぶたも、昨年に比べればかなり上達したとは思うものの、観る者をあっといわせるインパクトにはまだ欠けていた。

 私は22台の大型ねぶたをひと通り観て、ねぶた研究所を設立してねぶた製作に打ち込んでいるねぶた師が製作した大間の伝説に材をとったねぶたが一番だと思った。おそらく次代のねぶたは彼を中心に製作されていくような気がした。

 今年くらい私は真面目にねぶたを観たことはない。今夜も22台全部のねぶたをもう一度観るつもりだ。そして、歴代のねぶた師に材を求めて、これからの青森ねぶたのことを、今度こそ小説に書いてみようと強く思った。

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